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子供の頃に比べて勘が働きにくくなっている。知識が増えたせいだろうか。そもそも勘は信頼できるものなのだろうか。

何かの選択をする時に勘が働いたとしても、そこでGOサインは普通出さない。そのあと思考が入る。思考して理屈で考えても勘で選んだ方が上がるなら問題はない。しかし、逆の場合は勘の通りに行わない理由の列挙が思考となる。この場合は勘の判断は不採用だ。

つまりは思考優位に判断が決まる。ビジネスの場でも、人との話合いでも「なんでそうするの?」となった時には、思考の元の判断でなければ説明できない。「いや~、何となくです。」「直観です。」では話にならない場合が多い。こうして思考前提の環境で生きている内に勘が働かなくなっている。

ただ知らない町や建物でも何となく歩いていると目的地に着くのは、勘の精度をある程度証明していると思う。勘とは意識にのぼってこないレベルでの判断なのではないか。やはり情報と経験の蓄積からポンと出てくるものなのだと思う。

勘が持つ力は知識での判断を越えうるものだと思うが、最後は情報に頼ってしまうのはなぜか?
それは、勘によっての成功体験が少ないからではないか?

子供の時に勘づいた事はたくさんあった。子供の頃というか高校くらいの時でも少しはあったかもしれない。ただ、勘は勘のまま流れてしまって答え合わせは出来なかった。だって勘なのだから。
色々と感じ取ったことは確かめておけば良かったと思う。

勘は水物で時期を逃すと状況が変わる。その時にはもう遅い。

今、気配を感じる事、身体で起こる反応、自分の心の動きなどを手掛かりにまた勘づくことが出てきた。勘が信用出来るものなのかどうか?

答え合わせを今度はしてみよう。
この蓄積は新たな未来を作る。