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自我を薄めると

どうやら気のワークというのは自我のワークのように思えてきた。


まず出そうと思って出すこと。

使いようによっては気に情報を乗っけて使うこと。情報は希望だったり祈りだったりする。

粒子が荒く硬い印象がある。攻撃的というか。
ただかなりコントロールしやすいという利点はある。そしてコントロールのしやすさは自我を刺激する。

色々と遊ばせてもらった気の世界。ドラゴンボールの世界。
なぜかガス欠してコントロールも感知もほとんど今は出来ない。
なぜ。どうして?

その代わりか落ち着きは増したように思う。
揺れ動く心の揺れ幅も小さくなった。

するとどうだろう?
気とは少し特性の違うエネルギーが出る時がある。
無に近づくほどに、自我が薄まるほどに。
期待を手放すほどに、自然に溶け込むほどに。

粒子の細かい柔らかなエネルギーが出てくる。
力はないけど優しさがある。

受け手は以前より気持ちがいいらしい。

心は身体と直結している。
心は生体エネルギーともきっと直結している。

故に心が変われば身体が変わる。
心が変わればエネルギーも変わる。

自我が薄まるほどに粒子は細かく、より源に作用する。
きっとそういう理屈になっているのだろうと感じている。